アメリカ民主党内大統領候補予備選について

 七月二十九日、ジョン・ケリーはボストンの民主党全国代表大会(DNC)で指名受諾演説を行い、大統領候補選びに幕を引いた。民主党全国代議員四千二百五十五名のうち三十七名だけは最後まで抵抗し続け、クシニッチに投票した。クシニッチはケリーの勝利確定後も選挙を降りず、全国代表大会までがんばった。しかし最後の政策討議ではほとんど何の成果も得ず、ケリー陣営に完敗した。

 クシニッチは、ケリー支持を表明したことで「進歩陣営を裏切ったか」の質問に対して、「自分には代議員がいない。民主党に残るつもりだ。仕方がない」と告白した。

 「変色龍」ケリーの演説は、民主党候補の慣例(すなわち予備選において左に偏り、本選挙で「中道」に偏る)に沿ったものだが、問題は歴史上最も極右に立つ現職大統領に対する「中道」は右翼にすぎない、ということだ。実際、好戦的なケリー演説は、アメリカ大統領選挙をブッシュ基調で展開させることになった。それは反戦運動・進歩陣営にとっての生の教訓であった。

 クシニッチを支持する人は、ほとんど民主党の外部にいる進歩陣営で、クシニッチに投票するため、自分の所属する緑の党や労働党などを一時的に離れ、民主党員として予備選で登録した。それに対してディーンの支持者はクシニッチへの理解を持ってはいるが、彼には勝ち目がないと思っていた。残念なことに、この二人は当人同士たがいにライバル意識が強く、仲が悪かった。ディーンから見れば、クシニッチは邪魔だが、彼が邪魔をしても自分はまだ勝てると考えていた。クシニッチから見れば、自分が国会や街頭で反戦運動をリードしてきたが、マスコミはディーンを唯一の反戦候補と持ち上げて、不公平きわまる。

 予備選は州ごとに展開するが、州ごとにいくつかの選挙区に分けられている。一人の候補者は一つの選挙区で一五%の投票が得られなければ死票になる。

 クシニッチは初めのアイオワ州集会でエドワーズと協力合意を結んだ。死票を票数の多い者に入れる。多分、彼の計算では、ディーンへの投票は自分より多く、エドワーズへの投票は自分より少ない。それは彼の支持者を大きく困惑させた。どうしてディーンではなくエドワーズ支持にまわるのか。その結果は周知の通り。クシニッチは獲得代議員数ゼロ、エドワーズは第二位、ディーンは第三位に終わった。しかしクシニッチは満足してディーンを嘲笑した。多分ディーンの大失態で、反戦票は自分のところに来ると判断したのだろう。

 たしかに予備選を通じて、クシニッチはアメリカ政治においてリーダーシップを確立したと言える。しかしケリーの勝利に表れたように、民主党内の反戦運動・進歩陣営は完敗した。それは反戦運動内部の分裂を完成させた。ブッシュの再選を絶対に阻止したいが、ケリーを当選させたくもない。たとえば「ミリオン・ワーカーズ・マーチ」(百万人労働者行進)を組織する団体は、大統領選挙自体を無意味として、投票前にワシントンでのデモを呼びかけている。一方民主党に連携する労組などの団体は、ケリーを支持するため投票日後にデモをするよう要求している。

 繰り返しにすぎないが、今回の民主党内予備選および本選挙で示されたように、二大政党にコントロールされたアメリカ政治では、選出された大統領候補よりも政策面に影響を与える戦略が正しく、しかも有効である。今回の場合、もしクシニッチが独立候補者として出馬すれば、間違いなく民主党の少数派と緑の党、労働党などの支持を得られる。その場合、選挙で勝てなくても、選挙過程で正しく政策議論を展開でき、いまアメリカ社会で最も重要な政治問題(全国民医療保険、雇用、教育、平和と戦争など)を全国民に注目させることができる。

 一度、私は労働党の理想的すぎる政策の効果に疑問を提起したことがある。全国組織者のマーク・ダジッチは次のように答えた。

 「私たちはすべての政策で妥協する用意があるが、妥協する立場にはない。ケリー陣営に対して、二〜三%のブッシュ支持者を獲得するために政策を犠牲にするよりも、労働者側には二〇〜三〇%の票があるよ、と示す必要がある」と。

 全くその通りである。(二〇〇四年八月六日)

[かけはし2004.08.23号]

米・カリフォルニア州サンノゼ Jing Zhao

_Comparative Policy Review_ http://cpri.tripod.com August 2004